ジブリ版「ゲド戦記」を初めて観ました。
最初に断っておくと、私は原作が凄くすきです。
映画化された当初、育児で映画を見に行けなくて、
ネットであちこちで感想を見て、恐くなってジブリ版を見れず、
今まで来たのですが。
食わず嫌いはいけない・・かもしれない・・と思って、
タダで観れるTV放送は良い機会だと思って、観た・・のですが・・・


やっぱり観なきゃ良かったーーーー!!
何というか、原作者のル・グウィン氏が、1つ1つ気を使いながら、
形にしてきた、アースシーの世界や「ゲド戦記」という作品を
見事に壊してくれました・・・
観てる間は、ヒーローとヒロインが登場して活躍する
ファンタジーがやりたかったなら、素直に2巻の「壊れた指輪」を、
そのままアニメ化した方が良かったんじゃ・・って思っていたのですが、
所々に宮崎駿アニメっぽいシーンや設定があるなーと思っていたら、
最後のクレジットに、
原作:「ゲド戦記
原案:「シュナの旅
と出て来て、なら最初っから「シュナの旅」をアニメ化しとけ!と思いました・・
ゲド戦記」って名前を使わずにやって欲しかった・・


何というか、ジブリ版は凄く薄っぺらいです。
登場人物が何か行動をするにしても、その場面から居なくなるにしても、
全く動機がなくて、意味が分からない。
例えば、最初ゲドがアレンを1人噴水広場において立ち去るのも、
昔、自分の影と戦ったことのあるゲドならば、
アレンが影と戦っていることを見抜いたであろうし、
そんな状態のアレンを1人にすることはなかったでしょう。
まぁ、原作は原作として、全く別の物語と観た場合でも、
2回目、1度アレンを1人にして人買いに渡ってしまった経験があるのに、
ゲドがアレンの剣を探しに行く時に、
アレンをテナーの家に置いて、ゲドだけ家を離れる理由が分からない。
そもそも、何故アレンが父親からその剣だけ奪って逃げたのか・・
アレンが影に怯えていたとしても、父親を殺す理由にはならないし、
そもそも何で殺したのかとか・・
あぁ・・何か、ストーリー全体が、
全てご都合主義で作られているような、そんな感じです。
その割には、凄く無意味なシーンとかエピソードに時間を割いていたりして、
その時間で表現しなきゃいけないことは、もっと色々あるだろ!って感じでした。


大賢人であるゲドが、殆どなにもせず終わってしまったのも、なんだかなぁ・・
原作のゲドは、言葉は少ないけど、何もせず見守ってるだけじゃないんだよ・・
態度で示してるの!そして、発する言葉は、とても意味が深いんだ・・・
ジブリ版のゲドは、もう泣きそうな体たらくでした。
あれ、ジブリ版だけみた人は、ゲドが何で大賢人なのかさえ分からないんじゃ?


唯一、アレンに死と向き合う様に導く役をテハヌーに与えて、
かつ、テハヌーを何の力もない少女にしたのは面白いかなーと思ったのですが、
それも、最後の最後で台無し・・・
何で、そこでテハヌーが竜の設定をもってきちゃうかな・・
テハヌーが竜だったら、真の名が分かる設定まで一緒についてくるだろ・・・
あぁ、そこは原作は原作と別に考えry


最後の最後でクモを殺して終わりなのも・・・
多分、あの辺りは宮崎父と息子の才能の違い。
あのストーリーで宮崎父なら、きっと違うオチにしてただろうなと思う。
そもそも原作ファンである、宮崎父ならきっと違うアニメに・・ry
まぁ、その父もジブリ版「ハウル」を観る限りは、
一時期の溢れんばかりの才能は、今は感じられませんが・・
いや、宮崎アニメはすきなんですけどね、原作があるとどうもねって感じがします。
「魔女宅」とかも、原作読んでる私はストーリーのつじつまが合うんですが、
読んでない旦那さんは、消化不良感があってすきじゃないらしい。
ハウル」もそんなところがあるよね。


日本語版翻訳者の清水真砂子氏が、「ゲドを読む」かなにかで、
ジブリのアニメについて
「吟遊詩人がどんな歌を歌うのも自由」
って感じのことを仰っていた気がするのですが、
私は、とてもそこまで大人になれませんでした。
流石ゲドの翻訳者・・です。
あの世界を壊さない様に、慎重に丁寧に翻訳されているだけあります。
いち原作ファンの私は、そこまで達観することはできなかった・・・
短く終わらせようと思ったのに、結局こんなに長くなっちゃったしな・・