最近、働いていた頃の夢をよく見ます。
何故かは分かりませんが、延々と車を運転していたり、
延々と提案書を作っていたり、
起きたときにとてもブルーになる内容・・
何だか、今があまりも幸せすぎて、夢でつけ上がらない様に
ストッパーをかけられているのかなぁ・・と思ったりします。
そんな夢のせいで、働いていた時を思い出したり・・
今だから、色々と言える事もあるので、
一寸書いてみようと思います。


思い出せば、毎日残業、21時に会社を出て
『今日は早く帰れた』とか思える職場で、
『辞めたい・・』と思う時は、毎日の様にありましたが、
『絶対に辞めてやる』と決意した時がありました。
辞める前の1年は、本当に忙しくて、
営業の成績に全く反映されない提案書とかの
付帯業務が増え続け、そのせいで毎日帰りが遅くなって・・
でも、その仕事は大変だったけど、嫌ではなかった。
それは、その作った提案書とかが「分かりやすくて良い」って
営業の人に認めて貰えたりしていたから、
やりがいを感じていたのかもしれません。
でも、後輩の指導とか、辞めていった先輩からの引き継ぎとかで
新しい仕事も増える一方で、その付帯業務も増え続け・・・
自分の担当以外の人からや、上司の分の提案書や資料まで、
私が作っている様な状況・・・
それでも、自分の仕事が認められていると思えたから、
旦那さんに愚痴を言いまくりながらも(苦笑)、まだ頑張れた。


でも、ある日、上司から
「お前の分の残業代だけ、他の人と比較して多すぎる」
「そんなに残業が多い訳がないだろう」
「多いとしたら、お前の仕事の要領が悪いせい」と
暗に残業代を申請するなと言われたのです。
その言ってきた上司の提案書も私が作っていたと言うのに。
私の本職が営業で、付帯業務のその提案書作成は、
外回りから戻ってきた夕方から始めるので、
どうしても残業になってしまう事を分かってくれていると
思っていた、私が甘かったのだと思い知ったのです。
それが『絶対にこの会社を辞めてやる』という決意になりました。
頼んできた上司や同僚が先に帰宅して行き、
1人残って仕事をこなしている自分・・・
結局、私はここの人達に良いように使われているだけ・・
会社は、営業の数字しか見ていないんだから・・・
という思いが、その頃からふつふつと湧く様になりました。


たぶん、その頃から旦那さんへの
あたりっぷりも拍車をかけて酷くなっていたと思います。
旦那さんが私にプロポーズをしたきっかけは
「あのままだと奥さんが壊れそうだったから」らしいので(苦笑)、
あの頃の私は相当すさんでいたと思います・・
実際、結婚を理由に会社を辞める事になった時も、
グループのリーダーや、一緒に仕事をした営業の人は
惜しんでくれましたが、上司などは至極あっさりしたもので、
やっぱり私は代用の効く便利人としか思われてなかったんだなぁ・・と
冷めた感じがある一方で、自分への悔しさが湧いたのを覚えています。
でも、辞める日、殆ど話らしい話をした事もない
年配の営業の人から声をかけられ、
「辞めるんだってね。毎日、遅くまで1人で頑張っていたものね。
 これからは、良い家庭を作れる様に相手の人と頑張ってね。」
と言われた時、不覚にも泣いてしまいました。
思えば、その営業の人も比較的毎日遅くまで残っている人でした。
その人にしてみれば、何気に言った言葉かもしれませんが、
どうせこんな仕事をしても誰にも評価されないんだ・・と
荒んでいた私にしてみれば、自分の仕事を見ていてくれる人がいた・・
それが嬉しくて、しょうがなかったのです。
今でも、あの言葉を思い出すと泣いてしまう訳ですが(苦笑)。
あの頂いた言葉通り、これからさくら(仮名)が産まれても、
良い家庭が作れるように、頑張っていきたいなぁ・・と
あの言葉を思い出す度に思います。
私が働く女性への憧れを捨てきれずにいるのは、
荒んだ思い出の中に、そんな思い出もあるからかもしれません(笑)。
夕ご飯
愚痴日記の和みに、今日の夕ご飯は、
3日目の餃子のタネの残りの肉団子と野菜の甘酢あんかけでした。
酢はレシピ通りで、醤油と塩と砂糖の量を減らしたところ、
「酢は効いているが、味は薄い・・」と
言われる仕上がりになりました(苦笑)。